死を理解する

死を理解する
今年に入ってコロナだ豪雨だと人々を脅かす出来事が続き、心を痛める出来事が多い中、
トドメを指すかの如く、私の大好きだった三浦 春馬 君の突然の死を目の当たりにし、久々に胸がギューッと苦しくなりました。
波動を上げ、5次元世界を目指す者としては、これも、自分の目の前に写し出された3次元世界の映像だと思えば、感情を揺さぶる事なく収まりがつきそうな気もしましたが、まだまだ3次元世界に引きずり込まれる事も多く、この手の事に関しては、すぐに割り切れることではないな…と実感しております。

 

その中で書くべきかどうかも迷いましたがやはりこういう時だからこそ、今回はスピリチュアルの観点から「死」について触れてみたいと思います。

 

早速ですが皆さんは「死」について、どんなイメージを持たれてますか?

 

私達の恐怖や不安を脅かす、1番の強敵かもしれませんね。人は生まれてきたからには誰しもいつか「死」を迎えます。加えて私たちは地球に来る時に、この肉体を脱ぐ日を決めてやってきています。なので寿命も知ろうと思えば知ることができます。でも知った所でまた一喜一憂するアイテムにしかならないので、私はお勧めしません(笑)

とは言え、あくまでこれは肉体の寿命なので、死んだ後も1人1人がもつ光(魂)は継続されます。
なのでもっと深く言えば光(魂)の死はありません。

 

三浦 春馬 君のことをあげれば、彼は肉体を脱いだ瞬間、沢山の天使が迎えに来ていたそうです。元々30年の約束で地球へ「体験」に来ており、私達よりもはるかにスピードのある人生を送っていたので、側から見ると30年という短い時間ではありましたが、彼が地球に降りてくる時に決めた、数々の「達成感」を味わうというテーマは、存分に味わえた人生だったのではと思います。ひとつひとつを辿れば苦しかったとか辛かったとか色々あったと思いますが、その様な感情は地球のみの出来事。肉体を脱いでしまえば、後は全て笑い話ということです。

私の中ではこの流れが今は理解できて、死に対する捉え方も変わってきたのでこの様な解釈も出来ますが、まだ何もわかっていない時に、私の母がふとこんな事を言い出したのを思い出しました。

 

「私には戻る場所がちゃんとあるからわたしが死んでも悲しんだりしないで。そして死ぬ間際に呼び止めないで」と。

 

その時は「え?何言ってんの?意味わかんないんだけど」と思いましたが、今はよく分かります。身近な人が死に瀕すると、どうしても私達は3次元に引き止めてしまいたくなります。「もっと生きて」「お願い!死なないで」と願い、声をあげてしまう気持ちはよく分かります。しかし、この行動だけを取ると、これは本人の希望ではなく周りの私達のエゴなのです。
なぜなら役割を果たした(自分が決めたシナリオを全うした)魂は肉体を離れ、故郷に戻るのが自然の摂理なのです。よく聞くのが「たまたま席を外した時に息を引き取った」とか「明け方息を引き取った」など…これも本人が誰にも引き止められることなく、さらりと肉体を脱ぎたいと思ったケースです。

 

私の母は自分の魂がどうやって誕生し、どの様にして地球に降りてきたか記憶がある人なので、その様なことを私に頼んだのだと思います。エゴは地球だけのもの。そこに執着は必要ありません。何度も言いますが、亡くなったと言っても肉体を脱いだだけで消滅した訳ではないのです。振動数が異なっているだけでいつも貴方の身近で見守っているのです。

 

それに対し残された私たちに必要なことは、常に気持ちをニュートラルに保ち、毎日を幸せに暮らすことです。
そして故人に対しては親であろうと友達であろうと「出逢ってくれてありがとう」「出逢えてよかった」と伝えること。
そして、拭きれない「悲しみ」を他の誰かに与えない様に、精一杯生きること。
それが残された者の過ごし方でもあり、弔いにもなるのです。

 

また私達が死を迎える瞬間に「あぁいい人生だったな」と思えば、魂は高次元に転生します。逆にマイナスな感情(後悔や憎しみなど)を持ったまま迎えると、また地球の「人生ゲーム」に参加が決定します。どちらを選ぶかは人それぞれです。
「次こそはこういう人生にするぞー!」とやる気がある方は、死を迎える瞬間是非「後悔」をしてください。
私は魂に戻った後はぬくぬくしたいと思っているので、今世はやりたい事を全うして悔いを残さない様にしたいと思います🤗