「比較」を手放す
3月に入り春ももうすぐですね。2021年もあっという間に過ぎていきそうな雰囲気ですが…いかがでしょう?皆さんの2021年前半戦。
私は1日1日を大事に生きることが身についてきた(他にいい表現ないかな?笑)ので、自分の中では充実した日々を送ってます。
この「自分の中では」がポイントで、今日はそれにまつわるお話をしようと思います。
最近、さまざまな年代の方のセッションをさせて頂く様になりましたが、皆さん共通して囚われているのが「比較」の周波数です。
「比較」って私たち人間の得意分野でもあるので、毎日の様に皆さん比較ってしてるんです。瞬間瞬間の話なので、どうだろ?1日100回以上はしてます。「え?そんな私してない」って思われた方も、ただ脳がその思考(記憶)を留めてないだけで、日々しまくりです(笑)
人のブログみて〜人のSNSみて〜街歩く人みて〜人の話聞いて〜と、ツールは無限です。
だからと言って「比較」を悪者にするつもりはありません。
「比較」をポジティブに捉えてすぐに自分のパワーに変えれるのであれば、どんどん使って下さい。例えば「あの人も一生懸命頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃ!」とか、「私は健康で仕事もあるし今困っている人達に比べれば、まだまだやっていける!」とか。
でも残念ながらポジティブな比較って、例に挙げた感じであまりレパートリーがないんです。
日常、私達が感じている比較は、ネガティブが8割を占めます。
もうレパートリーに挙げずともすぐに思い浮かぶと思います。で、ただネガティブな比較をしてさらっと終わればいいんですけど、残念ながらその後に「無価値感→私なんて○○とか、我が家なんて○○」というのがくっついてしまうと、もう思考の沼にハマっていきます。いや悲劇のヒロイン沼という方が正しいかもしれません(笑)
それに抜け出せず、自分の軸を見失ってグラグラとしている方が本当に多いです。
後、その反対に自分も負けじとその上を行こうと振る舞う人。これは良くSNSで見かけますね。自己肯定感が異常に強くなる方。もう投稿見てるだけでエネルギーが違うんで、すぐわかるんですけど、うーんそうしたっていつまでも自分が満たされないだろうになぁと見てて思います(笑)
最初に書いた様に「自分の中で」OKだったら、本当はそれでいいんです。
自分が幸せと感じるボーダーラインを知るということが前提にはなりますが、それが自分の中にあれば、ネガティブな比較を瞬時にしたとしても「今は私がそうしたいんだからそれでいいや」と納得させれさえすれば、沼にはハマらないんです。
あと一番厄介なのが「普通は〜」という言葉。これに皆さんグラグラさせられるんです。
普通って「押し並べて平坦」な部分をすくって、皆さん「普通」って使ってるんですが、実際誰がその普通の基準って決めたんですか?って話です(笑)
私もそう言いながら「普通」を人に押し付けてしまうこともありましたが、今はこのお仕事を始めて本当に十人十色いろんな方がいらっしゃって、いろんな個性があって「みんな違ってみんないい」って本当に思うので、その言葉は使わなくなりました。
モラルに反すること以外は、「普通」を人に押し付けるのは良くないなと。
これが比較を生む芽(原因)になるので、そういう芽はできるだけ無くしていきたいです。
これからは、ますます他種多用が求められる時代になっていきます。
「比較」に囚われていると、自分の発言や行動にも制限が出てきます。
できるだけその周波数はどんどん手放して、軽やかに過ごしていきましょう!